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【市民ライター企画インタビュー編】リノベーションまちづくり担当者 佐々木豊さん

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市民ライター企画第2弾のインタビュー編では、浜松のリノベーションまちづくりが進んでいく中で、新たに生まれた『人の輪』に着目し、それぞれの場所でほしい暮らしを実現してリノベーションまちづくりに関わる人々にスポットを当ててインタビューしていきます。


〝ヒト〟から生まれるまちづくり

はじめまして、市民ライターの山本 茉希と申します。

私は、浜松で130年続く瓦屋の娘として生まれ、現在はその会社で働いています。そして、3人の子どもの母でもあります。

私自身、家業のあり方や自分の人生を見つめ直したいと、2020年のリノベーションスクール@浜松(個人版)に参加し、その翌年には義兄である社長と共にリノベーションスクール@浜松(企業版)に参加しました。

「まちづくり」とは無縁の世界で生きてきた私が、まちづくりに関わりたいと思うようになったきっかけが「リノベーションスクール」。

 

浜松で「リノベーションまちづくり」が始まってから、8年が経過しています。その事業の一環である「リノベーションスクール」ですが、その制度を持ち込み、浜松ヒューマンパーク構想を描いた立役者とも言えるのが、浜松市役所の職員である佐々木豊さんです。

私含め、関係者にとって「佐々木さんがいなければ今の自分はなかった。」と言える人物なのです。これまでの「リノベーションまちづくりin浜松市」の歴史と佐々木さんご自身についてインタビューし、感謝の気持ちを込めて紐解きました。

なぜリノベーションまちづくりだったのか?

地方都市の抱える課題

「リノベーションまちづくり」という取り組みや、そこから生まれた実績が浜松市で定着しつつありますが、佐々木さんがこの取り組みに注目した理由は何だったのでしょうか?

地方のまちづくりで必ず課題となるのが「空き家」の問題。中心市街地の衰退も多くの地方都市が抱えている課題です。そして、それは浜松市も例外ではありません。

遊休不動産を活用し、まちを活性化するために行政としてどのように対策を講じることができるのか、佐々木さんがリサーチしていた2012年、北九州市で行われていた「リノベーションスクール@北九州市」と出会います。その存在を知った佐々木さんは、何度も北九州市まで足を運び、その取り組みの詳細や実績を研究したそうです。

リノベーションスクール@熱海への参加

その後、2013年に静岡県内で初めて、熱海市でリノベーションスクールが開催された際は、ご自身が実際にそのスクールに受講生として参加します。この参加が佐々木さんの心を大きく動かしました。

熱海市でのリノベーションスクールは、浜松市で現在行っているリノベーションスクールと同様、実際に眠っている空き物件を題材に3日間で事業計画を練るというもの。佐々木さんが参加していたユニットには、空き物件のオーナーの吉田奈生さんがメンバーとして参加していました。

しかし当初、吉田さん自身は事業展開に向けて積極的というわけではなかったようです。佐々木さん達メンバーも、昼夜問わず3日間を通して一緒にプランを練る中で、吉田さんの、物件だけでなく熱海のまちに対する熱い想いを感じます。

 

そして最終日。

プレゼンの場で、吉田さんが泣きながら「熱海のために関わってくれてありがとうございます。私はこの事業を実現していきます。」と誓い、会場全体に感動の渦を巻き起こしました(現在実際に事業化されています)。

オーナーさん自身の変化を間近で見たこと。そして、関わるメンバー達にまちづくりへの熱い想いを呼び起こしたこと。それを体感した佐々木さんは、このスクールを必ず浜松で実現しよう、そう決意し、浜松での実現に向けてさらに行動していきます。

熱海のスクールなどについては、みかわやポッドキャスト#14で佐々木さんご自身のお言葉で直接聴くことが出来ますので、ぜひ聴いてみてください。

浜松での開催、苦労と成功

はじまりは苦労から

制度の体制を整え、内外の協力者を集め、ついに2015年に第1回目のリノベーションスクール@浜松が開催されました。そして、2021年までに全9回のスクールが開催され、現在まで続いています。

最初の3年間は、提案した事業が思うように展開せず、実現にまで至らないという課題があったと佐々木さんは言います。これはリノベーションスクールを開催している全国の都市が抱えている悩みでもあるそうです。 スクールの3日間で盛り上がってプランを作るけれど、その後冷静になることで新たな課題が見え、尻込みしてしまう。

  • 本当に自分に出来るのか?
  • 資金・時間・生活・気持ち・・・人生を変えてまで実現するのか?
  • 会って間もないユニットメンバーとの関係性

この辺りは私自身も思い当たりますが、色々な要素が重なって諦めてしまうことが多く、事業実現へのハードルは低くなかったんですね。

最初の成功事例

そんな流れを変えたのは、2017年の第4回リノベーションスクールで提案された「浜松サザンクロスほしの市」の存在です。成功事例が出来ないと次が続かない、そんな焦りにも似た思いがある中で、ほしの市がやってくれたことが大きかったと佐々木さんは振り返ります。

実は私自身、リノベーションスクールに参加しようと決めたきっかけが、ほしの市の存在でした。女性達が力を合わせて運営していて、楽しそう!そして、何よりも「私にも出来るかも。」そう背中を押してくれる何かがありました。

その「私にも出来るかも。」と思える事例を女性達が率先して行ったことが、今のリノベーションスクール@浜松に繋がっているんですね。こうして、ほしの市の誕生を皮切りに、次々とリノベーションスクールから事業が生まれていきました。

スクールの受講生が講師に

回を重ねていくごとにリノベーションスクールの仲間が増え、今では企業版も含め、延べ300人近くの人がスクールを受講しています。スクールの当初は全国からまちづくりの講師たちが派遣されていましたが、現在では浜松市でスクールを受講した生徒が事業化し、講師として参加するスタイルが定着しつつあります。

そのことについて佐々木さんは「事業を実現させる鍵として、伴走する人が必要だと感じていたんです。」と話してくれました。

「ほしの市のときも、講師の方がスクール後も相談に乗ってくれたり、さまざまな形でサポートをしてくれていました。ですが、地元の人に講師に入ってもらってその後も継続してアフターフォローをする流れがあれば、事業ももっと実現しやすいだろうと考えていました。受講生が参加後、事業を実現させ、その人たちがまた講師として関わっていくシステム。これがうまく回転するようになったことは、他の都市にはない浜松独自のものとして、いい作用を生んでいると思います。」

私は、佐々木さんの人を見る目、信じた人を大切にする気持ちが特に素晴らしいと感じています。私自身、悩んだり不安になったり心が折れそうになる中で、既に行動に移している人を身近に感じられること、そしてその憧れの人たちに応援してもらえることはとても勇気がもらえ、次に続きたいという気持ちに繋がり、進むことができました。これは佐々木さんによって支えられてきた仕組みのおかげなのだな、と感じました。

佐々木さんご自身について

どんな子どもだったのか?

さて、佐々木さんと言えば浜松リノベーションスクールの父とも言える存在です。そんな佐々木さんがどんな幼少期を過ごし、まちづくりに興味を持つことになったのかを尋ねました。

佐々木さんは1970年、年子3兄弟の長男として生まれ、お父様の仕事の都合で全国各地を転々と過ごします。想像するだけで、お母様はさぞかし忍耐強い方なんだろうな〜と思わず母親目線になってしまいますが、ご自身の責任感の強い優しい性格は、こうした幼少期に培われたものなんでしょうね。

小学校に3校、中学校には2校通い、中学2年生の時にご両親が栃木県に家を建てそこから高校3年生までを栃木で過ごした佐々木さん。県有数の進学校に通い、そのまま国立大学に入学します。そして進学した大学が学園都市に立地していたため、都市計画に興味を持ち、都市開発の会社に入社しました。入社した頃は計画的に作られる都市に疑問を抱くことはありませんでしたが、次第に佐々木さんの心の中である問いが浮かびます。

「官製のまちづくりで一体どれだけの人が幸せになるだろう。」

佐々木さんの生まれた1970年代は、団塊ジュニアの第二次ベビーブームと共に日本経済が急速に成長した時代です。
偏差値の高い学校に通い安定した企業に就職したら安泰だ、という学歴社会とも言える教育の中で育ち、決められた形の中で人やまちを作っていくシステム。そのレールから外れないように生きていくよりも、一人一人が欲しいと思う暮らしを手に入れるためのまちづくりをしたい、そう佐々木さんは考えるようになります。

浜松を選んだわけ

幼少期、転校を繰り返して来た佐々木さんですが、奇しくもご自身の就職した会社も定年までずっと全国転勤が定められた企業でした。自分の「地元」というものがないと感じている中で、定住する場所は早く決めたいと漠然と考えていたそう。

前職に勤めていた際に都市開発の一環で浜松へ赴任してきたこと、奥様のご実家が浜松であったことなどから、浜松に住居を構える決意をします。

そうして家を建て浜松市役所に転職し、浜松のまちづくりに関わることになりましたが、リノベーションまちづくりという形で様々な人と関わり、行動を共にすることになったことでますます浜松への愛着を深めたと言います。

「こんなに多くの人と関わらせてもらうことになるとは思っていなかった。」と笑う佐々木さん。「でも、今では浜松が私の地元です。」そう続けて話す佐々木さんの言葉には、今までの苦労と喜びが滲んでいました。

これからの浜松、そしてリノベーションスクール

企業版の開催 

「浜松は、工業、光産業、音楽、林業、農業、福祉…様々な分野の事業があってそれぞれが活躍している、都市そのものの魅力がありますよね。それを組み合わせてまちづくりを行ったら、点から面へ大きく発展するだろう。」佐々木さんは、浜松の魅力についてこう語ってくれました。

事例が生まれ始めたリノベーションスクールの流れをさらに後押しするには、浜松の様々な分野の企業に関わってもらい、点として存在している事例を大きな面にすることが必要だと、考えたそう。そうして生まれたのがリノベーションスクール@浜松(企業版)という取り組みです。

全国85都市で開催されているリノベーションスクールですが、企業版を行っているのはなんと浜松市だけ(2022年3月現在)。そして、2019年。市長自ら長坂養蜂場さんを推薦してくださるなどして、第一回目の企業版スクールが開催されます。

今までのまちづくりの中で、その土地にあるものを生かしてそこに暮らす人の望むまちを作ることが必要だと感じていた佐々木さん。浜松に存在する色々な業種を集めることでイノベーションを生むことに繋がり、生まれた新しい事業が街中を活用してくれたら、ダイナミックにまちが動いていくだろうと想定したと言います。

これからの目標

想定していた通り、多数の企業がまちづくりに参画したことでリノベーションスクールの取り組みが加速しました。企業同士で連合して新しい会社を起こしたり、参加企業同士のネットワークが生まれたり、浜松の発展に貢献しています。

 今後は個人版と企業版がうまく融合して、さらに面白いものが生まれていく展開も描いているようです。

「感染症の蔓延や街中の衰退など、抱える社会課題は多数ありますが、そんな中でもピンチをチャンスとして捉えて行動できる前向きな人や自分の欲しい暮らしを描いて進んで行ける人。そんな人や企業が仲間になったら嬉しいです。私はそんな人たちをサポートして、みんなが欲しい暮らしを手に入れるお手伝いをしていきたいんです。」

リノベーションスクールという機会があることで新たな出会いが生まれ、新しいコトが起きています。そして、そこには必ず佐々木さんをはじめ市役所の方々のサポートがあります。

今回は、佐々木さんのお話を聞くことで、私の今ままで知らなかった歴史を垣間見ることができました。

どんな〝ヒト〟がどんな想いで〝コト〟を動かしているのか。私はそれを感じたことで、ますます浜松というまちが好きになりました。そんな人がもっと増え、一人一人が自分の望む暮らしを手に入れることで、浜松がより豊かに発展してほしいです。

市民ライター 山本茉希

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